2025年7月号



 


*粟村 政昭氏の著書「ジャズ・レコード・ブック」を読む。 連載

生前、ジャズ評論家の油井正一氏が、粟村政昭氏の「ジャズ・レコード・ブック」を世界最高の"ジャズ・レコードのガイド・ブック"として絶賛していた。ジャズ全般に渡るレコード・ガイド・ブックは例がない。1968年2月25日 第1刷発行、数年を経て2版〜3版と増補版が発売された。近年、多くのジャズ・ファンから再版の要請があり、一部の評論家やファンが尽力したが、再販は出来なかった状況があった。粟村氏が筆を起こしたのが1965年、58年の時を経て多くのファンの渇を癒すべく、ネットに依る復刻を思い至った。多くのジャズ・ファンや新たなジャズ・ファンの方々に、熟読玩味して頂けたらと思う。この著書は、雑誌「スイング・ジャーナル」1965年2月〜1967年8月まで連載された"ベスト・プレイャーズ / ベスト・レコード"に端を発し新たな人選の下、全面大改訂をほどこした書籍である。

今回「ジャズ・レコード・ブック」の前身の企画である、雑誌「スイング・ジャーナル」に、1965年2月〜1967年8月まで連載された、"ベスト・プレイャーズ / ベスト・レコード"に掲載された153名のアルバム紹介をまず読んで頂き、「ジャズ・レコード・ブック」に取り掛かることにしたいと思う。


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「 ベスト・プレイャーズ / ベスト・レコード 」

                        粟 村 政 昭

"ベスト・プレイャーズ / ベスト・レコード"は、雑誌「スイング・ジャーナル」1965年2月〜1967年8月まで連載された。最初の一年は編集部の人選であったが、1966年3月から粟村氏の人選に依る153名のレコード・ガイドである。

「某々のレコードは何を買うべきか」といった類の文章には年中お目にかかる様な気がするが、実際にレコードを購入するに当たって頼りになる内容のものは意外と少ない。その理由の第一は、撰択が甘くて最高点クラスのレコードと称するものがやたらと沢山並べられている場合が多いからだ。近頃の我国レコード市場は可成り乱戦気味だから、上手く立ち廻れば外国盤国内盤共に相当安い値段で購入することは出来る。しかし、千円、2千円の支出は我々の生活水準からみて、余程の金持ちでもない限り痛い事には変わりがない。そんな時に、これも良、あれも結構という大様な推薦のされ方をすると、全く腹が立つ。それに執筆者の中には妙にイキがって、ゲテ物レコードや道楽的な吹き込みを挙げる人もいるが、実際に身銭を切ってレコードを買うコレクターにとってこういう人々は明らかに敵である。そんな訳で、この稿を書くに当たってぼくは、推薦レコードは真に良いもの乃至は話題になったもののみにとどめ、出来るだけ少ない数のレコードを選出しておくことに決めた。勿論この他にも傑作佳作といわれるLPは沢山あるから、ファンの方はこの稿を一つの参考として、後は自分の好みに応じてコレクションの幅を拡げていかれるといいと思う。



第10回

<ジミー・ジェフリー>
「思索するミュージシャン」ジミー・ジェフリーの残した幾枚かの特色あるレコーディングの内で、今日最も高く評価して良いと思われるのはジム・ホールと組んだ「Giuffre 3」(At. 1254)であろう。ひたすらに難解さを排し、牧歌的な素朴なサウンドの中に高度の音楽理念を見事に昇華せしめたこの一作は、モダン・ジャズが生んだ傑作の一つとして永くファンの記憶の中に残るに違いない。「Travelin Light」(At.1282)は、オリジナル・スリーのベースがブルックマイヤーのヴァルヴ・トロンボーンに代わり、ビートをメロディがメロディ楽器の中に求めんとしたこれまた野心作であり、ジェフリーの探求精神が豊かさに感服せずにはいられない。ジェフリーは、ウェスト・コースト・ジャズの全盛時代に西海岸に在って大活躍し、無調音楽的なR&B的な作品に至るまで、幅広く作曲を行い、遂にはドラムを基本的リズムから追放した偉大なる失敗作「Tangent in Jazz」を生んだ。常に飽く事なく前進を意図する音楽家ジミィ・ジェフリーは、もっとファンの敬意を獲得してしかるべき人だと思う。


<マックス・ローチ>
ドラマーとしてのマックス・ローチの偉大さについては既に諸々語られて来ているし、彼が残した主要な作品についても且つて僕が本誌に書いたことがあるので、ここでは繰返して詳述はしない。ローチが影響を受けた先人ドラマーとして、ケニー・クラークと共にジーン・クルーパ、バディ・リッチといった白人ドラマーの名が挙げられているのは興味深いが、その検討はともかくとして、ローチの持っていた黒人には珍しい正確なタッチと、クリーンなリズム感は、40年代、50年代を通じて白人黒人の如何を問わず多くのグループによる種々の問題作へのローチの参加を可能にした。クリフォード・ブラウンとの歴史的な邂逅以前にローチが残した膨大な録音の内、今日興味を魅かれるのは、まずチャーリー・パーカーの一連のセッションであろう。これはパーカーの項を参照して頂きたいが、リーダーの肉体的な衰えに比して日一日と大物化していくローチの歩みが印象的である。バド・パウエルの所で推薦作の第一とした「BUD」(Roost 2224)は、ローチとしても初期の代表作で当時一分間90小節にも及ぶバドのスピードに」ついて行けるドラマーは他に居なかった。貴重なのはハワード・ラムゼイの灯台オールスターズに加わっての二枚の録音(Contemp.3508,5035)で、ウェスト・コースト・ジャズに対するローチの寄与を聴くことが出来る。日本でに入手出来るブラウン〜ローチの傑作集としては「ベスト・オブ・ブラウン」(M―3508,3520)の二枚が最高だったが最近廃盤ななった由。今カタログに残っている分は全部ニセ・ステである。ロリンズの名作「SAXOPHONE COLOSSUS」もリズム・マンとしてのローチに良さが百パーセントに発揮された当時の代表作である。ブラウンの死後ローチが吹き込んだ異色ある傑作は「ブルース・ワルツ」(SMJ 7070)で、変拍子で押し通した画期的なジャズ・アルバム。これもニセ・ステであるが、アメリカでも廃盤になっているので例外的に推薦作としておく。このLPの成功によっても判る如く、ローチは最高のジャズ・ドラマーであると同時に、ドラム奏者として真に偉大な作品を創造することの出来る数少ないリーダーの一人でもあった。60年代になると、単なるミュージシャンとしての力量だけでなく、「ファイティング・二グロ」としてのローチの存在が大きくジャズ界にクローズアップされてくることになる。人種偏見に基ずく黒人差別問題に強く抗議するローチの思想は「We Insist」というジャズ史上空前の大異色作となって世に問われた。僕はこうした政治的な意図を内臓した作品というものを全く好まないが、このアルバムが遂に日米共にカタログから姿を消してしまったことは全く残念でならない。「Prcussion Bitter Sweet」(lmp.S-8) もまた同系列属する作品である。


<ラッキー・トンプソン>
ラッキー・トンプソンを嫌いだと言う人はかなり多いが、これはその昔の彼のソロがまるでイタチが這いまわるみたいにモゾモゾした感じを持っていたからに違いない。トンプソンの場合もクラーク・テリーと同様、スタイルとしては中間派とモダン派の両特質をあわせ持っており、テナーマンとしてはレスターとホーキンスとのこれまた中間あたりに位する人だ。ただトンプソンの場合はテリーに比して、よりその」演奏理念が明快であり「トンプソン・スタイル」という看板をオッ立てて進ぜたい位にユニークなのである。バップ末だ華やかなりし頃に吹き込まれたトンプソンの名演がたった一曲だけだが「ビー・バップ・エラ」(Vic.VRA-5009)に含まれているのはありがたいが、その後の代表作は、廃盤になって久しいABCの最初LPが素晴らしかった。勿論マイルスの「WAIKIN’」のソロも立派である。長らくフランスに在ったが、近年帰米して吹き込んだLPは皆かなりの好評を博している。注目すべき点はここで彼がソプラノを吹いていることで、これがまた実に好ましい出来栄えなのである。とにかくもっと高く買われてしかるべき人だと思う。


< M J Q >
MJQの一番良かったのは今にして思えば「フォンテッサ」から「たそがれのヴェニス」にかけての頃であったようだ。プレスティジ時代のもの「ジャンゴ」、「コンコルド」も勿論良かったが、ユニットとしての野心的な主張といったものはアトランティック入り以降のものに比してやや希薄であるし、それ以降のものに比してやや希薄であるし、それ以降のものとなるとモダン・ジャズのLPとしては一級品でもMJQの作品としてはやや進取の気象に乏しいという恨みが出てくる。ただ遺憾なことにアトランテックという会社は盤質録音共によろしくないので、絶頂期にあったこのコンボのデリケートな音の世界を百パーセント捉え得ていたかについては疑問が残る。それだけに、プログラムは大衆向きだが「MJQコンサート」という大変に音の良いLPが残されていたというのは喜ばしいことだ。ルイス自身も最も気に入った作品の一つに挙げているし、ある意味でMJQの歩んで来た道の集大成的な作品であったと言ってもいい。上記以外の物の中ではジミィ・ジェフリーの加った「AT MUSIC INN」が面白い。前者に入っている「FUN」などは快演中の快演である。


<ギル・エバンス>
独特のカラーを持った偉大なる編曲者ギル・エバンスは今やジャズ・シーンに不動の地位を打ち立てたかに思われる。固定したバンドも持たず、器楽奏者としても抜群でない一アレンジャーが、これ程高い評価を受けたという事実はジャズ史上にも他に例を見ないのではなかろうか。勿論こうしたギルの名声は一朝一夕にして得られたものでは更にない。クロード・ソーンヒル楽団の専任アレンジャーとしての時代からマイルスの歴史的な「クールの誕生」のセッションに参加し、長い雌伏時代を経て「Miles Ahead」での成功をかちとるまで、彼のたどった道はコマーシャリズムに遂に毒されることのなかった信念ある芸術家としての苦難の道であった。彼の代表作としては、マイルスと組んだ「マイルス・アヘッド」も勿論良いが、彼が一時期実際率いたバンドによる「OUT OF THE COOL」と異色作「INTO THE HOT」を組にした「ギル・エバンスの全貌」を僕はあげたいと思う。「スペインのスケッチ」におけるマイルスの良さというのは僕にはわからない。むしろPRESTEIGEの「モダン・アレンジの究明」や「AMERICA’S NO.1 ARRANGER」(P.J
28)が素晴らしい。


次回につづく (参考文献 東亜音楽社)

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<<< スピーカーを替えたい JBLかALTEC? >>>
   

このころ会社の帰りは友人とオーディオショップに行くか、ジャズ喫茶に出向くことが多かったです。秋葉原には多くのショップがあり、なにか新しい情報があるのかよく顔をだしていました。当時はオーディオ専門店や家電専門店でもオーディオ展示に大きなスペースをとっていて、山際電機、佐藤無線、第一家電、ラオックス、石丸電気など、専門店はダイナミックオーディオ、テレオン、オーディオユニオン、またオーディオメーカーが海外のブランドの代理店をしていて、横浜の野毛には山水がJBLのショールームをトリオが秋葉原にボザークのショールムを、山際電機もマッキントッシュの代理店をしていた時期がありよく通いました。ジャズ喫茶にもよくでむき門前仲町「タカノ」、お茶の水「響」、「コンボ」、横浜の「ちぐさ」、「ダウンビート」などに通っていてジャズとオーディオを満喫していました。地理的に自宅に近い場所は休日などに通いました。新宿や吉祥寺界隈にも有名なジャズ喫茶がたくさんありましたが、なかなかそこまでは通いきれませんでした。お茶の水の「響」はJBLのランサー101を使っていて、勤務先に近く一番通ったジャズ喫茶で、そばに「トニー」レコード店もあり、トニーに寄った帰りは必ず通ったものです。閉店ちかくまで聴いていると「響」のママがお茶をだしてくれたのを覚えています。横浜の「ちぐさ」は自宅からよく徒歩で聴きにいきました。装置は自作のスピーカーでお店も6畳くらいの広さなのでかなり強烈な音でならしていて、店主の故吉田氏は一人づつリクエストを聞きにまわるのがつねで、吉田氏が好むアルバムをリクエストしたものてした。 いままで通った店で圧倒的に良い音で鳴らしていたのは門前仲町の「タカノ」で今でも覚えていますが2月14日で店内に入ったらマイルスのマイ・ファニー・ヴァレンタインがかかっていて中域が太く圧倒された音で、すぐに目に入ったスピーカーがALTEC9844でウーハーが30cmの414−16Bが2本、ドライバー806A、ホーン811Bの構成になっていてタカノではじめて聴きました。アンプはたしかマッキンのMC-275とC-22を使っていたと思います。9844は壁につってありにでウーハーが上にホーンが下の状態で設置されていました。プレーヤーの記憶はおぼろげでSME-3012、カートリッジなシュアーだったような気がします。初めてマッキンの275と22を聴きましたが、ALTECとの相性は最高だと思い感動しました。  ジャズ喫茶でも自作ユニットのスピーカーで鳴らしているお店もありますが、野毛の「ちぐさ」、文京区白山の「映画館」(ジャズ喫茶)がこの形式でしたが、なかなか上手く鳴らすのは難しいなと感じました。いろいろなジャズ喫茶に行きましたが、改めて感動するような音はあまり経験しませんでした。  自分のステレオでまえから代えるならスピーカーだと思っていましたので、いよいよ新しいスピーカーにしようと本気でさがしはじめました。野毛の山水電気でJBLのLE8Tのスピーカーがあり価格的には一番購入できそうな価格で、視聴したのがピーターソンの「WE GET RESQUEST」で歯切れの良い音で印象的でした。パラゴンも聴かせてもらいましたが、なにか印象に残らない音で山水のAU-111アンプで鳴らしていました。相性が悪いのかJBLを鳴らすのは難しいのかなと思った記憶がありました。ランサーL101もありましたがこちらはお茶の水の「響」でよく聴いていましたで今回は試聴しませんでした。L44も聴いたのですがほとんど記憶に残っていません。まだ有名メーカーの音はなかなか聞く機会がなくタンノイのオートグラフなどありましたが、雑誌の評論などでジャズにむくとは書いてなかったので、最初からスルーしてました。かなり後でアキュフェーズの初代パワーアンプを設計したY氏の自宅でオートグラフを聴かせてもらいましたが、やはりジャズ向きではないと感じました。  どこのショールームだが忘れましたが、ALTECの全製品が載っているカタログを手に入れALTECの大型システムにびっくりA1〜A4は一般家庭には入らない大型システムでした。当時(1970年代)はALTECの名前付きの製品の方がたくさん発売されて、LAGUNA、FLAMENCO、SANTIAGE、GRANADA、MILANO、VALENCIAなど大型のスピーカーが多数ありました。JBLもAPOLLO、OLYMUS、PARAGON、HARTSFIELDdなどありましたが店頭で見る機会はあまりありませんでした。 秋葉原の万世橋に近い雑居ビルのB1に小さなショップがあり階段を降りたところにALTEC-A5があり聴きましたが、アコースティックギターの弦の音がものすごい太さに聴こえ圧倒されました。たまたまなのか行くショップでJBLがみかけなくALTECはA-7とか620とかおいてある店もありましたがJBLは4343発売頃から人気が上がってきたのでしょうか?なかなかお目にかかれませんでした。横浜の山際電機でJBL4320とL300、ALTECのVALENCIA846Bがあり丁度JBLとALTECの聴き比べができました。持参したインストとボーカルのレコードをかけてもらい,きめてはボーカルでした。中域の厚さでALTECが勝っており門仲のタカノで味わった近い音がでていました。考えていた予算よりだいぶ違ってしまい迷いましたが出口が決まれば今後アンプ、プレーヤーを代えて音のグレードをあげられるのではのではと思ったわけです。 お店の人にVLENCIA846Aが購入したいと話しましたが、製造中止でいまはすべて468Bになると言われました。また846Aの方が入手が難しいし価格もかなり高くなると言われてどうしようかと思っていたのにお店の人が同じ811Bホーンが材質が全く違うので たたいた時の音が古いのはカーンと響くが新しいのはコツコツと鳴ると教えてくれよけいに迷ったわけです。インピーダンスも846Aは16Ωも手に入るが846Bは8Ωでこの時点ではアルニコでも手に入るとも言われまた。この時はお店に検討しますと言って帰宅しました。
 それから1か月後にALTEC846Bを購入し家にきましたが母親に匂いがくさいとさんざん言われました。811Bの塗装の匂いでした。



                                                           
          *** 次回はパワーアンプを譲り受けた
     

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60年代以降活躍しているボーカリストを紹介します。

 たくさんのボーカリストがでています。この時代公式サイト、facebookなどで
 自身発信をしている人が多く時代はかわりました。
 
 
CYRILLE AIMEE シリル・エメ
1984年生まれフランスのジャズシンガー 2007年モントルー2012年サラーボーン・ボーカルで優勝している。新しい時代のジャズボーカリストで古典的であり新しいスタイルで歌い上げる。明瞭で説得力があり独特の表現力をもったボーカリストだ。2019年のアルバム「ムーヴ・オン」収録曲の「マリー・ミー・ア・リトル」グラミー賞にノミネートされた。  
  発売CDの一部